sei said...?

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うちのダンナは
炊き込みご飯が大好き。

中でも大好物は
舞茸を使ったきのこご飯で
2週に一度は炊き込んでいます。

その際の女房のマイルールは
「きのこご飯と予告しない」こと。

いつもどおりに夕飯の支度をしつつ
帰宅したダンナに
「悪いんだけど
 もうご飯炊けてるから
 ざっとまぜてくれる?」
と、しゃもじを渡します。

炊飯器の蓋を開けた瞬間に
「うわぁ‥‥これは‥‥っ」
と感動の声を上げ
子どものようにキラキラした目で
「きのこご飯だー!」
と振り返るダンナ40歳。

そのかわいい顔見たさに女房は
今日も炊き込みご飯の
支度をするのです。

(炊くのは炊飯器だしね)

2012-05-28-MON

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自分でやった方が早い病」とは

■病状
 ・「自分でやった方が早い」という考えに陥る

■2つの発症パターン
 ・まわりよりも自分ができてしまうから
 ・相手に悪いし、お願いが下手だから

■かかる人
 ・仕事ができ優しい、30代の新人リーダーに多い

■病の原因
 ・「人のため」と言いながら自分の利益しか考えていない
 ・まわりの人と一緒に成長しようとしない
 ・基本的な教育ができていない
 ・エースピッチャーの快感に浸りマネージャーの喜びを知らない
 ・自分大好き人間

病状が悪化すると

・「孤独な成功者」になる
・仕事を抱え込み、病気も抱え込む
・つねに「誰かのせい」にして生きることになる
・笑顔と余裕が消える
・いつまでたっても優秀な人が現れない
・誰も信頼できなくなる 誰にも信頼されなくなる
・仕事が途切れると、年賀状も来なくなる

克服できると

・1人の100歩ではなく、100人の1歩で進むことができる
・まわりができる人だらけになり、大きな仕事ができるようになる
・友達もお金も増える! 昇進、昇給もできる!
・より大きな幸せを感じることができる
・「自分がほめられるための仕事」ではなく本当の仕事ができる

処方箋

■「任せる」とは「失敗させる権利を与えること
 ・失敗の経験を積ませるのが上司の仕事
 ・失敗は短期的な成果、効率を見た場合の評価
 ・育てる、任せるから見た失敗は、成長

■まわりの人をヒーローにする
 ・損な役回りを引き受けてみる
 ・目先の損を取って、長期的な得を得る

■「任せる」は「仕事をふる」ことではない、と理解する
 ・仕事は責任とセットで任せる
 ・責任も与えれば、ふられたほうも俄然やる気になる

■自分のコピーをを作ろうとしてはいけない
 ・自分がトッププレイヤーだから、つい自分のやり方が正しいと思いがち
 ・部下に仕事を任せた以上、部下のやり方に口出しはいけない

■計画と検証は一緒にやり、実行は一人でやってもらう
 ・リーダーの仕事は、P(計画)、C(検証)、A(改善・仕組み化)を全力を注ぐ
 ・D(実行)の部分は部下に任せる

■あえて70点のマニュアルを作る
 ・残り30点は部下が自分で考える部分
 ・独自性を発揮できるように余白を用意しないと、マニュアル人間になってしまう

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たとえば、自分たちの生活のなかで、
行きづまっていたり
沈滞ムードに見えることがあったりします。
でもぼくは、それは
「次のはじまり」なんじゃないかな、と
思っているんです。
寒い時期の枯れているように見える植物にも
それは同じように言えることで。
— はじまりを、はじめよう。http://www.1101.com/beginning/index.html
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(Source: 6mm, via imatomix)

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(Source: shrbr)

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「少年っぽい」という「ほめことば」があります。
 こう言われることを、
 よろこぶ人もいるかもしれないですが、
 それも、せめて30歳までじゃないかと思います。
 
 少年のようだと思われている瑞々しい感性も、
 少年のようだということになっている純粋な心も、
 実はおとなの男は、冷凍庫にしまってあります。

 しまいこまないで出しておけばいい、と
 思われるかもしれませんが、そうはいかない。
 下唇を血が出るほど噛みしめ、
 わなわな震えているような心のままでは、
 じぶんが生きていけないだけではなく、
 他の誰かの食いものを取りに行くこともできません。
 生きていくということは、すり傷切り傷、打撲に打身、
 できものに腹痛、風邪に頭痛‥‥ひっきりなしですから。
 「んなものは、へっちゃらだ」というような強がりや、
 笑われるような鈍感さへの修練が必要なのです。
 
 このごろの女性なら膝を打ってくれるかもしれませんが、
 おとなになって、じぶんの足で立つということは、
 「おやじの技術」を身につけることでもあります。
 だからって、無礼とか傲岸になるのとはちがいます。
 じぶんのなかの感じ過ぎる心を、
 「ああ、これは感じすぎている」と知って生きること。
 純粋さをコントロールすることだと思うのです。
 
 それなりの年齢になっても
 「少年っぽい」と言われることは、
 心の震えが見透かされているということでもあります。
 まだまだ、誰かに「つかまり立ち」していたいんだな、
 というふうに見えているのだと思うのです。
 いや、そのほうが母性をくすぐるから、と、
 計算づくで「少年っぽい」のまま
 生きようとする人もいるだろうけれど、
 ぼくは、それはほめられたことじゃないと思う。
 考えようによっては、「ロックだね」とかっていうのも、
 似ているような気がするんですけどね。
 少年の活躍の場は、ひとりのときにこそ、あるんだよ。

— 今日のダーリン(2012.5.10)
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いま、東北のともだちにメールを書いていました。
 昨日、ここに書いた
 「被災した地域と、他の場所にいる人たちの距離が、
  遠くなってきたように感じられる」
 ということについての、やりとりです。
 
 新しい踏ん張りどころに差しかかっていると思うんです。
 メールに、ぼくは、表現に少々悩みながら、
 「横を見ないこと、他所と比べないことかなぁ、
  と思っています」と書きました。
 
 むつかしい問題、むつかしい時期、むつかしい精神状態。
 そういうことになると、
 ぼくらは、ものすごく「横」ばかり見るようになります。

 うまくいっているように見える人、
 弱々しくて足を引っぱりそうに見える人、
 まちがったことを懸命にやっている人、
 人をだましたり嘘をついたりしている人、
 なまくらな刃物を持ってこっちを睨んでいる人、
 大声で泣きじゃくってばかりの人、
 力を発揮できないままに眠っている人、
 そして、鏡のなかに写っているじぶん‥‥。
 横を見ているかぎりは、(苦笑)、退屈しません。
 時間は過ぎていくし、頭はいつも動いています。
 しかし、なんにも、大事なことは考えられなくなります。
 一歩前へと、足を踏み出すことを忘れます。
 
 苦しいときこそ、見るのは横じゃなく、
 前なんだということを、経験で知っていたはずなのに、
 どういうわけか、横を見て腐っていってしまうんです。
 「おまえは、前に進みたいんじゃなかったのか?」
 という声が聞こえたら、こっちのもんです。
 そう、前に1ミリでも進む、戻りにしても前を向いて。
 行きたい方向、生きたい道を進むのに、
 横見ているひまなんかないんですよね。
 
 目玉は、どっち向きについている? 前だ。
 光の射す方向が、前だぜ。
 なんか、いいことを思い出したような気がします。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
しかも、笑いながら‥‥っていうのが、理想なんだよねぇ。

— 今日のダーリン(2012.5.9)