sei said...?

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 最初に行った被災地は、宮城県の山元町でした。
 あんまりたくさんの人が一度に亡くなったので、
 火葬が間に合わなかったそうです。
 ひとまず、土のなかに葬られた人たちへの墓参が、
 ぼくらの「できること」のひとつでした。
 
 実際に行ったことでわかったのは、
 報道や記録で伝えられる震災も、
 希望や計画として語られる震災後のことも、
 生きている人たちの世界なんだということでした。
 ところが、実際にお墓の前に立つと、
 「この場所では、死者と生者が両方暮らしている」
 そう思えたのでした。

 全国のニュースとしては、
 死者はいつでも数えられるばかりです。
 でも、その人の生活していた場所では、
 亡くなった誰それさんとして、
 それから後の時間を暮らしているのです。
 
・震災のあとをどうするか、どうしたいか、
 たくさんの知恵がしぼられ、人々が動いています。
 でも、それが生者のためだけのものでは、きっと、
 いけないんだよなぁと、考えるようにしています。
 
 死者にも居心地のいい世界が、
 生者にとっても生きやすい世界なんだと思うんです。
 どんな人でも、つまり、ぼくも、あなたも‥‥。
 おかあさんでも、おじいさんでも、赤ちゃんでも、
 かならずいつかは死ぬわけです。
 「死んだ人のことはどうでもいい」世界だったら、
 やがて行く先が断崖絶壁ということになっちゃう。
 生者は、やがて死者としてじぶんの行く先を、
 ただの闇にしてはならないと考えるようになりました。
 生者と死者が、つながっていて、たがいを思いやる。
 それは、きっと優しい社会なんじゃないかなぁ。

— (今日のダーリン −2011.12.23−)